東京タワー

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

私も高2の春に父親を亡くしました。でも、リリーさんが迎えたオカンとの最期と私と父のそれは全然違うものでした。
以下はネタバレも含むのでご注意下さい。


私の父も胃癌で、私が中3の時に手術をして全摘、余命5年だと聞かされました。
聞いたときはもちろん泣きました。まさか父親が、そんなわけない、と。

でもよくも悪くも私は子どもで、それに弟と私は共に思春期、反抗期の真っ只中で、「余命5年」の重みはすぐに消えてしまいました。「なんだ、私がハタチになるまでは大丈夫なんだ」と思っていました。
そう思うようになると、いつも休日に帰ってきては家でゴロゴロ(悪く言えばダラダラ)している父親が目障りに感じ、かなり辛くあたったりしました。父は好きでダラダラしてたわけじゃない、身体が言うことをきかなかったんだ、ということを知りもせずに。

その後、父は入院し、たまたま私は兵庫の友達のところに遊びに行っていたので、お見舞いに行きました。
そこでも「いつもの体調不良だろう」と軽く思い、「トイレに行きたいからちょっと待合室に行っといて」と言った父に、「せっかく見舞いに来たのに」と毒づき、機嫌を害したまま帰りました。

次に呼ばれたのはそれから10日後くらい。
その時には既に意識がなく、父親の親族もみんな集まっていました。
父親の誕生日は4月19日で、ちょっと早いお祝いとして、買ってきたプリンを涙が出そうになるのをこらえて食べました。
今思えば、たまたま見舞いに行ったあの日が、意識のある父に会った最後の日でした。
「東京タワー」の中でもオトンが
「個室に移されたら、もうつまらんぞ」
と言うシーンがありますが、私が見舞いに行った日には既に父は個室に移されており、私はあろうことか「今度は個室なんやぁ、いいねぇ」と嬉々として言いました。
誰か、あの時、いや、そうなる前に、リリーさんのオトンが言ったことと同じことを私に教えてほしかった。

私はこの2月24日に19歳になりました。でも父はいません。
20歳までは大丈夫だと信じきっていた余命は全然あてになりませんでした。

私は今でも、私の幼すぎる言葉と態度によって、父を死に追いやったと思っています。
それを「東京タワー」を読むことでさらに痛烈に感じさせられ、辛くもなりました。

リリーさんはいいなぁと思いました。
きちんとオカンと向き合って別れることができて、そういう年齢で。
心底羨ましく感じます。

奇しくも、父の命日はリリーさんのオカンと同じ4月15日でした。

前半、リリーさんが幼少の頃の話はすごく微笑ましくて、読みながら顔がにやけていました。
後半は以上のようなこともあったので、リリーさんに嫉妬を感じつつ(笑)読みました。

端々に素敵な言葉が見つけることができる、素晴らしい本だと思います。